- エージェントを複数に分ける理由を、「机」「並行」「役割ごとの道具と指示」の3点で説明できる
- 引き継ぎのたびに情報が落ちる「伝言ゲームの劣化」が、なぜ起きるのかが分かる
- 分けるべきかどうかを、4つの目安で判断できる
7.1なぜ分けるのか
ここまでの章では、1つのエージェントが観察→判断→行動のループを回し、1つの机(コンテキスト)の上で仕事を進める姿を見てきました。しかし仕事が大きくなると、1つのエージェントにすべてを任せるのが難しくなる場面が出てきます。
そこで考えられたのが、エージェントを複数に分ける形です。全体を見渡して仕事を割り振る役と、割り振られた一部分をこなす役に分けるのが代表例です。この教材では前者を指揮役、後者を担当役と呼びます(業界では、指揮役を「オーケストレーター」、担当役を「サブエージェント」と呼ぶこともあります)。
大事なのは、指揮役も担当役も、中身はこれまでと同じエージェントだということです。それぞれが自分の頭脳(言語モデル)で考え、自分の机を持ち、自分のループを回します。違うのは、机が別々になることです。分ける理由は、大きく3つあります。
理由1 机を分けられる
第5章で見たように、机の広さには限りがあります。さらに、机に載るものが増えるほど、最初に渡された大事な指示が大量の資料の下に埋もれ、頭脳がそれを十分に考慮しなくなることがあります。
佐藤さんの依頼を1つのエージェントで進めると、5社分の検索結果、読んだ記事の全文、途中のメモがすべて同じ机に積み上がっていきます。最後に要約を書くころには、机の上は5社分の資料でいっぱいです。
分ければ、A社を担当する役の机にはA社の資料だけ、B社を担当する役の机にはB社の資料だけが載ります。各担当役は自分の仕事に関係するものだけを机に載せて考えられるので、資料に埋もれにくくなります。指揮役の机にも、資料の全文ではなく、各担当からの短い報告だけが届きます。
理由2 並行して進められる
1つのエージェントは、ループを1周ずつ順番に回します。A社を調べ終えてからB社、B社を終えてからC社、という具合です。担当役に分ければ、5社の調査を同時に進められます。待ち時間が長い調べもの(たくさんの記事を読む、何度も検索し直すなど)ほど、並行の効果は大きくなります。
ただし、早く終わるのは「待ち時間」です。頭脳が処理する量の合計は、むしろ増えます。この点は7.4節で改めて扱います。
理由3 役割ごとに道具と指示を変えられる
担当役ごとに、渡す道具(第4章)と指示を変えられます。たとえば、調べる役には検索の道具だけを渡し、ファイルを書き換える道具は渡さない。表を作る役には表を作る道具だけを渡し、外部とのやりとりはさせない。こうすれば、それぞれの役ができることを、その役に必要な範囲に絞れます。
1つのエージェントに全部を任せると、すべての道具を1つの頭脳に持たせることになり、どこか1か所で判断を誤ったときの影響が大きくなります。役割を分けることは、権限を分けることでもあります。この考え方は第8章「権限は段階で渡す」で詳しく扱います。
7.2よくある3つの形
複数のエージェントの組み合わせ方はいろいろありますが、基本となる形は3つです。実際の仕組みの多くは、この3つのどれか、またはその組み合わせとして理解できます。
司令塔型
指揮役が仕事を小分けにして担当役に任せ、返ってきた結果をまとめる形です。第6章で見た「計画と分解」を、指揮役が担当していると考えると分かりやすいでしょう。小分けにした仕事が互いに独立していれば、担当役たちを並行して動かせます。
流れ作業型
調べる役の成果物(調査メモ)を表にする役が受け取り、その成果物(比較表)を要約する役が受け取る、というように、前の担当の成果物が次の担当の材料になる形です。工場の流れ作業に似ています。各担当は前の工程を気にせず自分の工程に集中できますが、前の工程の誤りはそのまま次へ流れていきます。
点検役つき
作る役と確かめる役を分ける形です。作る役が成果物を出し、確かめる役が点検して、直す点があれば作る役に戻します。合格するまで往復を繰り返します。自分で書いた文章の誤りに自分では気づきにくいのは人間も同じで、作る役とは別の机で読み直すことに意味があります(ただし限界もあります。章末の「もう一歩深く」で扱います)。
佐藤さんの依頼を司令塔型で進めると
佐藤さんの依頼を司令塔型で進める場合を考えてみましょう。
- 指揮役が依頼を読み、「5社を1社ずつ調べる」「結果を比較表にする」「1枚の要約にする」と分解します。
- 指揮役が、5つの担当役に1社ずつ割り当て、それぞれに指示書を渡します。
- 5つの担当役が、同時に自分の担当会社を調べます。各担当役の机には、自分の会社の資料だけが載ります。
- 各担当役が、調べた結果を短い報告にまとめて指揮役に返します。
- 指揮役が5つの報告を並べて比較表と要約を作り、佐藤さんに渡します。
一見すると、とても効率のよい分担です。しかし、手順2と手順4に注目してください。ここで、机から机へ情報が移っています。この「移す」という動きに、複数のエージェントに特有の弱点が潜んでいます。
7.3伝言ゲームの劣化
担当役は、指揮役の机の中身を見ることができません。担当役が知っているのは、指揮役から渡された指示書に書かれていることだけです。佐藤さんと上司のやりとり、依頼の全文、指揮役が途中で考えたこと。これらは、指示書に書かれない限り担当役には届きません。
逆向きも同じです。担当役が読んだ記事の全文や、途中で迷ったこと、「この情報は少し怪しい」と感じたことは、担当役の机の上にしかありません。指揮役に届くのは、担当役が書いた報告だけです。報告は要約なので、細部は必ずどこかで削られます。
つまり、机から机へ情報が移るたびに、情報は2か所で落ちる可能性があります。
落ちる場所1 指示書に書かれなかった前提
上司の「最近出した新サービス」という言葉を、指揮役は「直近1年の発表に限る」と解釈し、自分の机にメモしたとします。ところが指揮役が書いた指示書は「C社の新サービスを調べて報告して」だけでした。指揮役にとって「直近1年」は当たり前の前提になっていたため、わざわざ書かなかったのです。
担当役は指示書しか見ていないので、期間の条件を知りません。検索すると3年前の発表と半年前の発表が見つかり、どちらも「C社の新サービス」として候補に入れます。担当役は指示どおりに仕事をしただけで、誤りを犯したという自覚はありません。
落ちる場所2 要約で消えた細部
担当役の机には、それぞれの記事の発表日が載っていました。しかし報告を短くまとめる段階で、日付は「細部」として削られます。指揮役が受け取ったのは「C社の新サービスは2件。いずれも好評」という報告だけです。
指揮役は自分の机に「直近1年に限る」というメモを持っていますが、報告に日付がないので、古いサービスが混ざったことに気づけません。前提を知っている側には細部が届かず、細部を知っている側には前提が届いていないのです。
この流れを、作業記録(第3章)の形で追ってみましょう。
[指揮役]上司の言う「最近」は、直近1年の発表と解釈する。比較はこの範囲に限ることにする。この判断は指揮役の机にだけ記録された
[指揮役]C社担当に指示書を渡す:「C社の新サービスを調べ、名前・特徴・評判を報告して」
落ちた1:指示書に期間の条件がない。指揮役にとっては当たり前の前提だったので、書く必要を感じなかった
[C社担当]指示書を読む。机に載っているのは指示書だけ。指揮役の机のメモは見えない
[C社担当]検索する。3年前に発表されたサービスと、半年前に発表されたサービスが見つかる。
[C社担当]期間の指定はない。どちらもC社の新サービスなので、両方を報告に入れる。
[C社担当→指揮役]報告:「C社の新サービスは2件。サービスXとサービスY。いずれも好評」
落ちた2:報告に発表日がない。担当役の机には日付があったが、要約の段階で細部として削られた
[指揮役]報告どおり、C社の欄にXとYを載せる。日付がないので、範囲外のものが混ざったと判断する材料がない
比較表が完成。C社の欄にだけ、3年前のサービスが「最近の新サービス」として並んでいる。
この記録で大事なのは、どの1行を見ても、明らかな間違いはないという点です。指揮役は妥当な解釈をし、担当役は指示どおりに調べ、報告も嘘はついていません。それでも結果は誤っています。誤りは、どこかの頭脳の中ではなく、机と机のすき間で生まれました。
引き継ぎの回数が増えるほど、このすき間も増えます。流れ作業型で工程が4つあれば、すき間は3つです。司令塔型の下にさらに小さな担当役を置けば、伝言はもう一段長くなります。1回の引き継ぎで落ちる情報が少しでも、回数を重ねると落ちる量は積み重なっていきます。
7.4分けると増えるもの
伝言ゲームの劣化のほかにも、分けることで増えるものがあります。分ける前に、次の3つを見積もっておく必要があります。
増えるもの1 費用と時間
エージェントの頭脳は、ループを1周回すたびに、机の上のものをまとめて読み直します(第5章)。机が1つなら読み直すのは1か所ですが、机が6つ(指揮役1と担当役5)あれば、それぞれが自分の机を読み直します。さらに、各担当役には「何をする仕事なのか」「どう報告するか」といった共通の説明を、それぞれの机に載せる必要があります。同じ説明を5回載せるのと同じことです。
そのため、並行で動かせば待ち時間は短くなっても、頭脳が処理する合計の量は増えるのが普通です。費用は処理した量に応じてかかることが多いため、分けるほど費用は増えやすくなります。「速く終わったのに、請求は増えた」ということが起こりうるのです。費用と時間の見積もり方は第13章で扱います。
増えるもの2 調整の失敗
担当役同士は、互いの机も見えません。そのため、次のような食い違いが起こります。
- 食い違い:A社担当は「料金」を月額で報告し、B社担当は年額で報告する。比較の物差しがそろわず、そのまま並べると誤った比較表になる。
- 重複:C社とD社が共同で出したサービスを、C社担当とD社担当の両方が報告する。指揮役が気づかなければ、同じサービスが2回数えられる。
- 抜け落ち:「どちらの担当でもない」と各担当役が判断した情報が、誰にも拾われずに消える。
人間のチームなら、隣の席の同僚に「料金って月額で書いてる?」と聞けば済む話です。しかし担当役同士には、その連絡の道がないことが多く、調整はすべて指揮役の仕事になります。指揮役が報告を並べたときに気づけなければ、食い違いはそのまま成果物に残ります。
増えるもの3 原因の追いにくさ
1つのエージェントなら、作業記録を上から順に読めば、どこで判断を誤ったかをたどれます。分けると、記録も机ごとに分かれます。7.3節の例のように、誤りが「すき間」で生まれた場合は、どの記録を読んでも明らかな間違いが見つかりません。
原因を突き止めるには、指揮役の記録、指示書、担当役の記録、報告を並べて、どこで何が伝わらなかったかを照らし合わせる必要があります。担当役が5つあれば、照らし合わせる組み合わせも増えます。誤りが見つかっても直し方が分からない、という状態に陥りやすくなるのです。失敗の型は第9章でまとめて扱います。
7.5いつ分けるべきか
ここまで見てきたように、分けることには得るものと失うものの両方があります。どちらが大きいかは仕事によって変わります。判断の目安を表にまとめます。
| 問い | 「はい」なら | 「いいえ」なら |
|---|---|---|
| 互いに独立した小さな仕事に分けられるか | 並行で進めやすく、引き継ぐ前提も少なくて済む。分ける理由になる | 担当同士が互いの結果を必要とし、伝言が増える。分けると劣化しやすい |
| 1つの机に収まらない、または埋もれが心配か | 机を分ける効果が大きい。分ける理由になる | 1つの机で足りるなら、分ける利点は小さい |
| 確かめる役を分ける価値があるか | 誤りの影響が大きい仕事なら、点検役つきを検討する価値がある | 人が最後に確認すれば足りるなら、点検役を増やす必要は薄い |
| 費用と時間の増加を許容できるか | 増えた分に見合う効果があれば分けてよい | 分けないほうがよい。1つで工夫する |
佐藤さんの依頼に当てはめてみましょう。5社の調査は互いに独立しているので、1つめの問いは「はい」です。5社分の資料は量が多く、1つの机では埋もれが心配なので、2つめも「はい」に近いでしょう。一方で、比較表と要約を作る段階は5社すべての結果を見渡す必要があるため、分けずに指揮役が担うのが自然です。つまり「調べる部分だけを分け、まとめる部分は1つで」という分け方が、この仕事には合っていそうです。
そのうえで、7.3節の劣化を防ぐために、指示書に期間の条件や報告の形式(料金は月額でそろえる、発表日と出典を必ず書く、など)を明記することが大切になります。分けると決めたなら、引き継ぎの中身を設計することが、分けることと同じくらい重要な仕事になるのです。
原則は「1つで済むなら1つで」。分けるのは、分けることで得られるものが、伝言の劣化・費用・調整・原因の追いにくさを上回るときだけです。
この原則は、第1章で「いつもエージェントが正解とは限らない」と述べたことと同じ構造です。より複雑な仕組みは、より高度に見えます。しかし複雑さそのものに価値があるわけではありません。単純な形で目的を果たせるなら、単純なほうが安く、速く、誤りの原因も追いやすいのです。
7.6人間の組織と似ているところ・違うところ
ここまで読んで、「人間の組織と同じだ」と感じた人も多いでしょう。実際、似ているところはたくさんあります。
似ているところ
大きな仕事を役割で分担すること。全体を見る人と、部分を担う人がいること。作る人と確かめる人を分けること。そして、報告・連絡・相談がうまくいかないと、一人ひとりは真面目に働いていても全体として誤ること。これらは人間の組織でも複数のエージェントでも同じです。組織運営で培われた「引き継ぎを丁寧に」「報告の形式をそろえる」といった知恵は、そのまま役に立ちます。
違うところ
決定的に違うのは、エージェント同士には、書かれたこと以外で補う手段がないという点です。
人間の担当者なら、指示書に期間が書いていなくても、「最近っていつまでですか」と聞き返せます。会議で上司の口ぶりを聞いていれば、「たぶん直近1年のことだろう」と察することもできます。昼休みの雑談で「料金って月額でそろえてる?」と確認し合うこともあります。人間の組織は、こうした暗黙の了解や何気ない会話によって、書類に書かれなかったことを日々補っています。
担当役には、そのような補い方がありません。担当役の机に載るのは、渡された指示書と、自分で道具を使って集めたものだけです。会議の空気も、組織の慣習も、上司の好みも、引き継ぎに書かれなければ存在しないのと同じです。そして多くの場合、担当役は分からない点があっても聞き返さず、自分なりに解釈して先へ進みます。
ですから、複数のエージェントを組み合わせるときは、「人間ならこれくらい察してくれる」という感覚を一度捨てる必要があります。新しく入ったばかりで、社内の事情を何も知らない人に仕事を頼むつもりで、前提をすべて書き出す。これが、机と机のすき間を小さくする基本です。
エージェントを増やすほど、仕事は賢く・正確になる。
エージェントを増やしても、1つひとつの頭脳が賢くなるわけではありません。増えるのは机の数と引き継ぎの回数です。引き継ぎのたびに前提や細部が落ちる可能性があり、費用も、調整の手間も、原因の追いにくさも増えます。
分けることで正確さが上がるのは、机を分けて埋もれを防げる、独立した仕事を並行できる、確かめる役を置く価値がある、といった理由がはっきりしている場合だけです。数を増やすこと自体は、正確さを保証しません。
点検役が「同じ頭脳」だと、同じところを見落としやすい
点検役つきの形には、見落とされやすい弱点があります。作る役と確かめる役に同じ頭脳(言語モデル)を使い、同じ情報を渡すと、両者は似た考え方をしやすくなります。作る役が「直近1年に限る」という前提を知らずに古い情報を混ぜたなら、同じ指示書しか持たない確かめる役も、その前提を知らないまま「問題なし」と判断するでしょう。机が別でも、机に載っているものと考える頭脳が同じなら、同じ見落としを繰り返しやすいのです。
人間の世界でも、自分で書いた文章を自分で読み直すと誤字に気づきにくいことが知られています。確かめる人を別にする意味は、「別の目」で見ることにあります。机を分けただけでは、目は別になりきっていないことがあるのです。
そこで、確かめる役には次のような工夫が考えられます。
- 見る観点を変える:作る役には「比較表を作れ」と頼み、確かめる役には「各項目に出典と日付があるか」「期間の条件を満たしているか」だけを見させる。
- 渡す情報を変える:確かめる役には、作る役の途中の考えではなく、元の依頼の全文と成果物だけを渡す。作る役の思い込みを引き継がないようにするためです。
- 人や別の仕組みが確かめる:機械的に確かめられる点(日付が範囲内か、件数がそろっているか)は決まった手順で確かめ、判断が必要な点は人が見る。
確かめる仕組みをどう組み立てるかは、第11章「確かめる仕組み」で詳しく扱います。
確認確認問題
エージェントを指揮役と担当役に分ける利点として、最も適切なのはどれですか。
解説を見る
分ける利点の1つは、机を分けられることです。担当役は指揮役の机を見られないので前提はむしろ伝わりにくくなり、合計の処理量も増えるのが普通です。
指揮役が「直近1年の発表に限る」と考えていたのに、担当役が古い情報を報告してきました。最も根本的な原因はどれですか。
解説を見る
担当役は指示書に書かれたことしか知りません。前提が書かれていなければ、どれほど賢い頭脳でも、その条件に沿って調べることはできません。誤りは頭脳の中ではなく、机と机のすき間で生まれています。
次のうち、1つのエージェントで進めるほうが適している可能性が高い仕事はどれですか。
解説を見る
1つの机に収まり、途中の判断が互いにつながっている仕事を分けると、伝言の劣化と費用の増加だけが残りやすくなります。「1つで済むなら1つで」が原則です。
この章のまとめ
- エージェントを分ける主な理由は、机を分けて埋もれを防ぐこと、並行して進めること、役割ごとに道具と指示(権限)を絞ること。
- 基本の形は、司令塔型・流れ作業型・点検役つきの3つ。実際の仕組みはこれらの組み合わせが多い。
- 担当役は指示書に書かれたことしか知らず、指揮役は報告に書かれたことしか知らない。引き継ぎのたびに前提と細部が落ちうる。
- 分けると、合計の処理量(費用)、担当同士の食い違いや重複、原因の追いにくさが増える。
- 原則は「1つで済むなら1つで」。分けるなら、引き継ぎの中身を設計することが同じくらい重要になる。
- エージェント同士は雑談や暗黙の了解で補えない。引き継ぎに書いたことしか伝わらない。